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気づいたこと

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手の外科に行った帰りに
数十年ぶりに食べた
「こうや」のラーメン。

雑誌のスタイリストさんの
行きつけと読んで、
訪ねて行った昔が懐かしい。


昨日はその手のことを心配して
B先輩があたたかなお電話をくれた。
対ワタシでなかったとしても
辛い目に遭い苦しむ人の
何か助けになろうとされる、
その姿勢につくづく感服します。

その電話の中で、
こうして助けの手を出されるのも
「うっとうしく」ないか、
それもまた心配するのよ、と
先輩がおっしゃった。
優しいゆえの憂慮だと解る。
しかし、
もし仮に、助けを受けることを
ご辞退するとしても、
申し出てくださったことを
感謝こそすれ、
「うっとうしい」と感じるような
人間がいるとしたら、
それは少なくとも私にとっては
ヒトとしてどうよ笑
という人です、とお答えした。

関連して、ちょうど、
少し前からうっとうしいのこと
考えてたんですと先輩に話した。
この辺り、その再録。

病と生きるしかない人々が、
例えば、
うっとうしい雨雲の下にいるとして、
でもその下でも、自分を励まして
頑張って懸命に生きている。
その姿を「苦しいのにエライ」と
見つめるならまだしも、
うっとうしい雨雲が視界に入ると嫌、
と感じる人が仮に居るなら、
それもまた、ヒトとしてどうよ、
ですねぇ、と先輩と話した。
自分の上にある雨雲でもないのに
うっとうしいなんて言わせないぞ、
なんて言ってみて、
誰かと話すことで、気づくこと、
そういうことはたくさんあるなぁ、と
いろいろ励まされたお電話でした。

病気という
「うっとうしい雨雲」は、
残念ながら私の上にもあるんだが、
それを、傍から見ることすら
うっとうしいと言うヒトを私が、
気遣うこともないんじゃないか。
もしかしたら、その雨雲がいつか
自分の上にもかかるかもしれないと
想像さえしないヒトとなんて、
(少なくとも私にとっては)
関わらんでええんじゃないか。

乱暴だけど、分りやすくわざと
オブラートを外しています。

今まで病気のことを書くのを
遠慮するようなところがあったけど
それを、なるべくやめよう。
うっとうしい雲の下にいる私だけど
他人様にそれをうっとうしいと
言われる筋合いはないのよ、と。
病と生きる人たちに、胸を張ろうと、
声をかけたいような、
何となくそんな風に、思ったです。




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Commented by cocomerita at 2020-10-06 18:02
Ciao tsunojirushiさん
ああ。ラーメン、いいなああ
日本に帰れないので、来週辺りラーメンを食べに行こうかと思っています。
自分で作ったラーメンとはやっぱり違いますもんね。
お蕎麦も好きなんですが、なんか「食べ応え」ってところで、いつもラーメンが勝ってしまいます。

いますね、そういう人々
鬱陶しいと思っている、と言うよりも、明日は我が身とその人たちの立場に立って思いやれない人々
いつも思いますが、
福島の被災した人たちに対する思いも一緒
家族の絆も家も仕事もそしてやり直せる土壌さえ失った人たちにどうして思いがかけられないかな?といつも思います。
彼らへの政府からの非情な仕打ちだって、福島の人たちに今政府がやってる事は、明日あなたにも平気で行われるであろう仕打ちであるとなぜ思えないか?
沖縄問題然り。
でも、みんな平気で向こう岸の火事を決め込み、喉元過ぎればさっさと熱さも忘れ、自分だけは大丈夫と根拠のない安心感と自信にどっぷり浸ってる。
まあ、おっしゃる通り、まさにヒトとしてどうよ? であり、関わるに値しないのでしょうが、、、
情けねーなと思いますね。

病気も老いも、いずれ皆経験しなければいけないことなのです
他人事じゃあないでしょう
私ね、去年入院してて、その後何回か病院に検査に行ったりして待合室で待ってるじゃないですか?
大きな病院だから、待合室も広くて混んでて、何時間も待たされるんですけどね、入院と手術ですごく体力落ちていて、ゆっくりとしか歩けなかった私は、待合室にいると妙に落ち着いたことを覚えています。
外界ではね、電車とかに乗っても、皆が私だけは大丈夫、と言う少し傲慢なオーラを纏っているようで、それが弱っていた私には少し痛かったんですね 
私は周りに高齢の人とか、病気の人とか、身体に障害のある人とかいますから、それなりに理解はしていたつもりでしたが、やっぱり自分でやってみないとわからない事ってあるよなあと実感しました。
誰かに何かをされたと言うのではないので、もしかしたらこちらの思い込みと言う部分もあるのでしょうが、、この辺りはうまく言葉にできないのですが、、。

Commented by cocomerita at 2020-10-06 18:04
続き
何か私に出来ることはありますか?と声をかけるのは大事だと思います。
それを受け取るか、受け取らないかは別として、、
お節介は社会の潤滑油だと思っていますから、、 
でも東京で、重たそうな荷物とか持ってる人に持ちましょうか?って言うと、逆にギョッとされるんですよね
盗んだりしないってのに、、苦笑

病気の事も、普通に書かれればいいと思います。
Tsunojirushiさんの文章を読んで、ああ、そう言うものなのかと気づく人も少なくないと思うのですね。
残念ながら、語られないとわからない、思いが及ばないと言う人たちはいますし、またそれでよっしゃ自分も頑張ろうと思う人も少なからずいると思います。
表には出さなくても、それが身体的なことでなくても、皆それぞれどこか不安やら向かいあわなければいけない問題やら抱えていると思うのでね。

Commented by tsunojirushi at 2020-10-06 18:37
> cocomeritaさま。
すごく一生懸命書いてくださってありがとう。すみません。
ラーメン屋さんあるんですね。私、食べてみたいです笑

書いてくださったことが、もう本当にその通りで、何も言うことありません。本当です。
福島のことや沖縄のこと、本当に胸が痛むけれど私は何もしてあげられていないから、これについては何も言えない。涙が出ます。どんなに情けない思いだろうか。

手術をされた後、つまり、ほぼ初めて「弱い方」に属されて、その世界の方がホッとする気持ち、これもとてもよく分かります。
私の行く大学病院は、色々な事情でリウマチ痛風センターという独立した場所を統合してしまいました。
リウマチ痛風センターだった頃、例えばトイレに行くと、スイングドアで誰かと重なったりする。お互いにどこかが必ず痛いと知っているから、間違っても動いたドアが当たったりしないように非常に慎重にすれ違う。
採血の人も全員痛い人が相手なので、不用意に腕を引っ張ったりは絶対にしなかった。
統合された今、その安心感がやはりなくなりました。危険度が増したので緊張します。

健康でいられるならそれに越したことはないです。でもそれが叶わなかったとき、一番辛いのは本人だと思います。応援するならまだしも、病気の話などうっとうしいと考えるような人のことを気にすることはないとおもいました。
書いてくださった、どっぷり浸っている方たちを私は密かに「健康ボケ」と呼んでいます。「平和ボケ」の応用です。
Commented by tsunojirushi at 2020-10-06 18:48
> cocomeritaさま。
病などで苦しむ人に、アドバイスと称して「ああしたらこうしたら」言う人もいますね。私は人を助けるのに、自分が何も差し出さずにそれが実現できるとは思いません。自分に何かできることはないか、と考えることしか、できないはずです。

私が話をしたところで、理解に繋がるとは正直思いません。それこそなってみて初めてわかることだと思いますから。
毎日毎日体のどこかが痛いと言うことが、両手で顔を洗うことができないということが、実際にどんなことかを分かってもらうことはできないと思います。
でもそれが私の日常である以上、それをそのまま書くしかない。
表に出さないことがマナーだという考えも分からなくはないですが、それこそこの間お話しした日本人の規格主義に近い。優れていることも、欠落したり傷ついている部分も、みんな違ってそれは当然なので、ありのままにゆくしかないと感じています。
病気と生きることは鬱陶しいことではないし、間違ったことでもない。むしろ、他の人よりも多くのものを背負っているんだから、頑張っているという自信を持っていいと思います。私自身がなかなかそう思えなかったけれど、これから少しずつでもそう考えてゆこうと思っています。
とても勉強になるコメントでした。
いつもありがとうございます。
Commented by mave at 2020-10-06 21:10 x
四谷のこうや,二昔三昔前ぐらいにラーメンとカレーのマニアだった身として懐かしいです。
ミッチリ肉餡の詰まったワンタンに,ピロピロ皮が泳ぐのだけじゃないんだなと思いました。
都合で暫く間が開いた後に伺ったら,好きだった平打ち幅広麺が頼みにくくなっていたのは残念でした<ってそれがそもそも20世紀の話。

と,いつもついつい食べ物にばっかり反応してしまって申し訳ないと思っております。

何せつい最近コメントを寄せさせていただいた新参者。かつガサツが服を着て歩いているような乱暴者なので。
自分に引き換えてのうっとうしいコメントが来た場合の最初で最後の反応が「イヤなら見るな別に呼んでないぞ」ですから。
どう書いても嘘くさいような申し訳ないような,ましてはお気持ちを損ねて出入りしにくくなったらコワいなと言う気持ちがしていました。

でも,思うように書かれて良いのだと思います。
肯定的に気付く人も否定的に背きながらどこか気持ちに杭を打たれる人も,きっと居ると思います。

せいぜいどこかでジンジャーナッツクッキーを見掛けたら買ってお送りできないかなと思っている,気にしつつ気にするだけの駄コメですが。
観た物作った物以外の記事もしっかと読んで感じ入っている人間が居ますよとお伝えしたくて<いや,勿論ないある作成記はとても面白いです。

もし表現がお気に障ったらと思って鍵コメにしようと思いましたが,他ブログからは無理なのかな。
このままお送りします。すみません。
Commented by tsunojirushi at 2020-10-06 21:44
> maveさま。
お、さすが、ご存知ですね。
そうですよね、あの金曜カレー、徒者ではないですものね。たくさん学ばれてそう。
今度、三茶のカレー屋さん行きましょう。←割と本気

やはり、聡明な方だなと思いつつ拝読しました。
いえ、そうなのです。嫌ならご覧くださるな、と私も思ってます、基本的に。
鍵コメとこれは関連していて、わざわざ私を嫌いなのに書き込みをされた方がいらして、そういうのは当然非公開。ブログを閉めるか、ゲストコメントを閉めるか、非公開を閉めるか、と悩んで、ゲストはどうしても残したくてこうなりました。意地悪をする人は大抵非公開ですから。

私が慧眼だなととても感心したのは特に、
>否定的に背きながら〜
という箇所でした。なるほど、これは考えませんでした、しかし、こういうことはあるかもしれませんね。私ごときの書くものではあり得なくとも、そういう影響の仕方は世の中にあるかもしれないと、心からウロコでした。

そんな、勿体ない。最近では「この話、くり返し書いてるような…」と思うことも多く、尊敬するブログを拝読するたび、なんとまあ、すごいことよとひれ伏します。
翻って己のは、またつまんねえことを飽きもせず、って感じかな、と何となく位置づけています。
ですので、いや、本当に恐れ多いお言葉で。誠に忝ない。

全然お気に障りませんでした笑 素晴らしいと思いました。
鍵コメのことは、そんな訳でした。すみません。鍵コメ開けられたら、カレー屋待ち合わせも出来るのに…。
Commented by mamegane at 2020-10-06 23:20
tsunoさま
こうやって、四谷のですよね。懐かしいな。
四谷に通っていらころ何度かお昼に行きました。並ぶんですけど。
美味しかったなあ。名前は忘れたけど鶏の手羽が入っているのがあって。
丼にこぼれそうなほどで、お店の方がよくこぼさないなと感心しながら食べたの思い出しました。
「づる」に入れてもらえるかしら。

わたし、こちらにおじゃまして、調子にのって書いていて
tsunoさまが辛いこと、お返事で知ったりして、ごめんなさいって思うこと何度かあります。
アホなので言葉も知らずおばばになり、これからも失礼があるかもですが
これからもまたおじゃまします。
tsunoさまの思うところをお書きくださいませね。(私が言うことでもないですが)
いやなことを言う人は蹴散らして。
Commented by tsunojirushi at 2020-10-06 23:38
> mameganeさま。
お、ここにもこうやファン。
何だかすごく大きなお店になりましたね、活気がありましたよ。
そう、基本的に大盛ですよね^^;
づるですねぇw

調子に乗って、なんてことは断じてありませんし、人間はもともと別々の人生を生きているのですからすべてがわかるわけもなし、知ってみて「そうなのか…」が基本。私がここで どうよ と書いたのは、知ってから「面倒」とか「そんなの理解できなくて当然」というような、寄り添う優しさのないことを指しています。
失礼なことなんて何もないですし起きようもないと思います、まめがね様のような方でしたら。
読んでいただけるのなら嬉しいと思います。
ありがとうございます。
蹴散らす!とはまたw 笑いました。そうですね、心掛けます。
お湯呑、素敵でした。
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by tsunojirushi | 2020-10-06 14:45 | ちょっといい | Trackback | Comments(8)