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凹んでます

「動物とわたし」テーマに、ななさんのことを書きたかったので上げたのですが、実は凹んでいるので、それもここに記録しておきます。ななさんの記事ですぐ上書きされるように工夫して。できてっかな・・・。

病状が悪くなって数か月、頸などのボキボキは腫れて壊れた破壊後遺症。肘はまだ腫れたままで、来月専門医に会うことに。しかし、何とか、他は大丈夫かな、と思っていたら、左手の小指の腱が一昨日の夜切れました(たぶん)。
指が動かせなくなるので判るのですが、おそらく。もう何度も何度も味わってるので。
普通の人が読んだら、「なんだ小指の腱くらい。突き指でだってなるでしょ」という話かもしれないけれど、いやいや…、それがね、
そもそも、治りにくい難病で結婚も出産も諦め、仕事も思うようにできず、およそ20年間毎月べらぼうなお金がかかり、他人に生活費すらたかり、それでも治まらず、日々の作業がみんな痛く、既に肘は人工関節にするしかないと宣告されていて、足もオペをしないと靴はまともに履けるようにならない、と言われていて、右手の腱はつながったけど癒着していて動かず、昨年からはステロイドのために白内障の症状が出て、片目になり、と、宿題が山のようにある状態で(ああ、長い。ゼイゼイ)、一個加算されると、なんつーか、凹むんですよね。既にオーバーフローで、そこへこれでもかっていう感じなので。
どこから治したらいいんだろう・・・。そして、その費用はどうするんだろう・・・。そもそもお金がないからいろんなオペレーションも懸案になっているのに。
小指が動かなくても、どうせ全然人並に動かない手なので、さらにまた不便になるだけのこと、でも、それ自体よりも、総合的に、なんというか、「途方にくれた」感じになっちゃってます。

こういう時、例えば、守らなくてはならない人がいたり、自分をすごく必要としている人が居たなら、「それでも生きなくちゃ」って思えるんだと思うんだけど、わたしは、どっちかというと他人の迷惑になって生きていて、そのバイタリティを持ちにくい。
生きる必要性は、もちろん、こんなわたしだってやってみたいことはあるし、まだ生きられたら、とは思う。ただ、それを続けるのにかかる手間とお金と人への迷惑という「マイナス要素」がデカすぎるから、算数すると、どうしたものか・・・となってしまう・・・。
数式が、「生きたい気持ち < 生きることの大変さ」 ってなっちゃうんだ。

とりあえず、私の手の腱を二回繋いでくれた、尊敬している先生の現所在(半引退なのでオペは無理だけど相談は出来る)を確認したのと、
左手の腱を一回繋いでくれた先生の所在(なんと、引き抜かれて開業病院に居た)は確認した。会いたい場合は会わねばならんから。
もう一軒、手の外科の医師も見つけて、一応、ずっと先だけど押さえておいた。というとこまではした。切ることになるかどうかは、しばらく考えるしかない。お金もないから。
両手とも、もうさんざん切ったり縫ったりしてあるので、汚いことこの上ない。変形や脱臼も酷くて、けっこうむちゃくちゃなのに、繋ぐとなると、また縫い目ができる。それも、がっかりは、やはりする。機能も完全にはもちろん戻らないし。

しばらく凹むから、虚勢を張っていろいろ書くには充電が必要。ななさんの記事を書きながら、よく考えます。
殴り書きだけど、ここを読んでくださった方がいらしたら、ありがとうございます。記録としての自分メモと、悲しくなった気持ちの放出、です。すみません。適宜、加筆修正します。乱文で恥ずかしい。


by tsunojirushi | 2017-09-16 20:59 | 日々の出来事 | Trackback